きら きら きらり

人はだれしも生まれながらにして神様からキラキラしたものを頂いている。誰でも、かならず。

今の今いただいているおかげ

近年、だいぶ余裕を持って行動できるようになってきましたが、元々なんでもギリギリになるタイプです( - _ - )
 

ある時、飛行機に乗らなければならないことがあったのですが、御用が長引いてチェックイン(搭乗手続き)に間に合うかどうか…という時間になってしまいました。

 
空港まではバス(10分)→電車(30分)→電車(15〜30分)→空港。
 
1分1秒でも短縮したいのでバスは諦めてタクシーを拾うことに。ところが全然つかまらない。逆車線で断られたり、空車なのにジェスチャーで断られたり。
 
もちろん神様にずっと「間に合いますように」「タクシーがつかまりますように」と御祈念させて頂いています。
タクシーがつかまらないので「何か神様にご無礼してしまったかなぁ…申し訳ございません」と神様にお詫びもさせて頂きながら、でも私は神様がいつでも私のことを可愛がってくださっているということを知っていますので、ここで心折れたりはしません。
 
5分ほど経って焦りも出てきた時、3台目のタクシーを見つけました。
・・・しかし予約車でした。
 
あぁ…orzと思った瞬間、急に空車のタクシーが目の前に現れて止まってくれました。
反対車線を走行していたタクシーが手をあげている私の背中を見つけて目の前でUターンしてくれたのです。
その時間は交通量も多く、どう考えてもUターンできるタイミングなんてないのに、その一瞬、車がいなかったのです。
 
神様ありがとうございます!!と御礼申し上げながら、やっぱり神様はいざというときに助けてくださる…畏れ多いけれど本当に私のことを可愛がってくださるなぁ…と思っていました。
 
タクシーに乗り込んで、スマホで乗り換え検索をします。
なんとか快速電車に間に合いそう。
けれども帰宅ラッシュの時間。エスカレータの行列や混雑を考えると電車から他社の電車への乗り換えがスムーズにできるか心配になります。過去の経験から、搭乗手続きや荷物検査が大混雑している可能性もあります。
 
運転手さんに厚く御礼を伝えて、無事に快速電車に乗ることができました。
 
焦りと不安で心臓はドキドキ。さぞ不安そうな顔をしていたと思います…
 
でも、ふと「不安に思うのは、何か違う」と思いました。違和感を感じたのです。
 
この快速に乗ってスムーズに行けば締切の15分前に到着します。
しかし不測の事態があればアウトですので不安はあります。
 
先のことを考えると心配や不安は尽きない。
それは飛行機の搭乗だけならず、人生そのものに言えることです。
 
けれども不安や心配、焦りを先に立てている時は、その事象にばかり捕われて視野が狭くなりおかげを落としやすい時です。
起こるか起こらないかわからないことを心配してドキドキして息を切らしている。
これもまた心の無駄遣いで、体と心を無駄に疲れさせているなと思いました。
 
何が起きても平常心でいられる、冷静でいられる、というのが神様が一番おかげを授けやすい。
 
私は心の中で立ち止まって、今の自分の状況を見つめました。
 
親切なタクシーの運転手さんが停まってくれた。
神様、ありがとうございます。
 
タイミングよく快速電車に乗ることができた。
神様、ありがとうございます。
 
遅延もめずらしくない路線なのに定刻に出発できた。
神様、ありがとうございます。
 
ここまで人身事故も地震も急な災害も起こっていない。
神様、ありがとうございます。
 
ラッシュで混雑してる車両もあるのに私が偶然乗り合わせた場所は比較的空いている。
神様、ありがとうございます。
 
今の今いただいているおかげがたくさんあるのです。
今の今いただいているおかげを無視して、先のことばかりに捕われていたのでは、せっかく神様が授けてくださっているおかげ、愛情を無視していることになります。
 
自分でできることは精一杯させていただきました。
ここから先は今の今いただいているおかげにひとつひとつ御礼を申し上げて、あとのことは神様にお任せです。
 
「絶対に神様は私のことを悪いようにはしない」
 
これまでの18年の経験があって心の底からそう思えます。
 
もし、仮に、突然のことがあって搭乗できないことがあったとしたら、それはそれでおかげなのです。
私が知る由もない何かからお守りくださっているとしか思えない。
 
そう思うと心も落ち着き、穏やかな気持ちでひとつひとつ気がついたおかげに御礼を申し上げながら空港に向かわせて頂きました。
 
乗り換えもスムーズ、空港の駅に締切の15分前に到着しちょうどエレベーターの前に降りることができました。
空港は閑散としていてチェックインと手荷物検査は10分もかからず終わりました。
 
 
金光教の教祖さまは次のようなことを教えておられます。(岡山県の方なので岡山弁です)
 
「人間じゃもの、生きておる間は先々のことを考えもしようし、心配の尽きる時はあるまいけれど、心配がみなおかげになれば、心配はあるまいが。心配は、信心しさえすれば、みなおかげになる。心配は体に毒、神様にご無礼。今日からは心配する心を神様に預けて、信心する心になるがよい。おかげになるぞ」
 
金光教の教典、み教え、というのは厳守しなければならない事項の羅列ではなく、江戸時代に教祖さまのところへ「今こういうこと(病気、人間関係、借金、結婚など)を悩んで途方に暮れていますが、どうしたら良いでしょうか」と助けを求めてこられた方ひとりひとりに話されたことを、後世の人が取材をしてまとめたものです。
 
この教えを受けられた方は、何かとても心配なことを抱えてお参りされたのでしょうね。これは心配や不安を抱えた方だれでもに当てはまる御教えだと思います。
 
こうして文章だけ読んでいると、「あー、なるほど〜」と思ってしまうのが人間ですが、いざ自分ごととなると心配と不安と焦りの渦に巻き込まれて足元をすくわれていたりするのです。
 
そうならないように、自分ごとの中で言い聞かせてお稽古して成長していくこと、それが信心ですね。
 
私は飛行機の件を通して、またひとつ信心のお稽古をさせて頂き、生きやすくなるために大事なことを教えて頂いたと感じています。
こうして日々の暮らしの中で、自分ごとの中で、神様から気づきをいただけることがありがたいです。