きら きら きらり

人はだれしも生まれながらにして神様からキラキラしたものを頂いている。誰でも、かならず。

御祭典の準備

なかなかブログの更新ができていませんね・・・

 

書きたいことは山ほどあるんです。山ほど神様からおかげを頂いてきたから。

 

うつ病から助かったこと
長年悩んでいた皮膚炎が治ったこと
うつ病の時は働くこともできず不安に押しつぶされそうだったけれど、少しずつ働けるようになってフルタイムで働けるようになった時のこと
酒乱気味で家族に迷惑ばかりかけていた祖父が信仰を通して穏やかで優しい人になったこと

 

挙げればキリがないくらい。

 


またブログを書く時間のお繰り合わせを神様にお願いさせていただきます。
あと、短時間でも文章をまとめられるスキルアップも…
(何でも神様にお願いさせて頂いたら良いようにしてくださるのです。)

 

 

今は何をさせて頂いているのかというと、主に御大祭に向けての準備です。

 

10〜11月は金光教の各お教会で「生神金光大神大祭(いきがみこんこうだいじんたいさい)」がお仕えされます。


生神金光大神様とは金光教の教祖様のことですが、教祖様だけのお祭りというわけではなく、おかげをくださる神様、神様と私たちの間に立って橋渡しをしてくださる教祖様、そして私たちを助けてくださった先生方(それぞれのお教会における金光大神様ですね)のお働き御礼申し上げる大切なお祭りです。

 

私たち夫婦が助けて頂いたお教会の御大祭まであと1ヶ月。だいたい2ヶ月前からぼちぼちと準備を始めさせて頂いています。


私は自分がどういうお役を頂いているというのはできるだけ言いたくないので言わないのですが、準備真っ只中です。

 

何で言いたくないのかというと、お参りされた方に「あれは道代先生がされたんだ」とか思われたくなくて。


お参りされた方には純粋に御祭典の厳かさ、神々しさに没頭してほしいんです。

 

あれは誰先生が調饌(お供えを盛り付けること)されたとか、あれは誰先生が設えたとか、そういう余計な情報は御祭典のお邪魔になる気がして。

 

そもそも自分が「した」ことなんて何もないんですよね。私の手足や目や耳を使って、神様がしてくださったことばかりで。

 

ある御用の途中でいつも心折れそうになるのですが「神様、どうかにかでき上がりますように」とひたすら御祈念させて頂いていると、最後は無事に完成する。そして美しかったりする。でもどう考えても自分がしたとは思えない。

 

自分がしていたら途中でぐちゃぐちゃになって、完成なんてとてもできなかったと思うのです。


毎年続けさせて頂いている御用ですが、やっぱり毎回毎回そう思います。

 

御用の中で大きなおかげを頂いて、どうしてもその神様のありがたさをお話しさせていただきたいという時には御用の内容をお話しすることもあります。話すことによって氏子(お参りされる方々)のためになるかならないか、判断基準はそこかなと思います。


ちょっと脱線しましたね。

 

今は御大祭の御用と並行して、来週9月18日(土)にお仕えさせて頂く秋季霊祭の準備も始めさせて頂いています。この度の御祭典では、祭典後のお話を私がさせて頂く予定です。

 

大切な御祭典が続きます。心を込めて準備をさせていただきます。