うつだった時のはなし②
うつは生き地獄だった。
自傷行為も始まりつつあった。
自分のような罪深い存在は天罰を受けて当たり前だと思っていた。
傷つけることで罪を償うような、そんな気持ちだった。
それでもどこかで助かりたい自分がいて、夜な夜なインターネットの世界で
うつや自傷行為から助かった人の話を探し求めていた。
まだ現在のようにそれほどインターネットが普及していない時代。
闘病中の方の日記やホームページは見つかっても、克服した方の話は見つからなかった。
そんな時、ふとしたことから金光教の教会の先生のホームページに出会った。
私よりもひどいうつを経験し、なんと克服したという先生だった。
そして今は金光教の教師として、悩みを抱えて苦しんでいる人の心の支えとなり、たくさんの人を助けている方だった。
私の家はひいひいおばあさんの代から金光教の教会にお参りしていた。
正直、あまり知名度のないマイナーな宗教だと思う。
だからこそ、そのホームページに出会った時は驚いた。
実は私は金光教についてほぼ何も知らなかった。
曽祖母や祖母のお葬式をお仕えしてもらったが、神様ということもよく理解していなかった。宗教だという感覚すらなかった。
時々家族で教会にお参りすることはあったが、お参りといっても近所の神社にお参りするのと変わらないような、手を合わせて、先生にご挨拶して帰るだけだった。お参りというよりも、同世代の子供たちと遊んでいた印象の方が強い。
けれどもそのホームページの先生はメールや参拝で直接話を聞いてくれるというので、金光教とか宗教とかは関係なく、「うつを克服した先輩」としての話を聞いてみたい、私はどうしたらよいか話を聞いてもらいたいと思ってメールを書いた。
その先生は関西圏の先生で、私の住んでいた愛媛からはとても遠い。
父に連れて行ってもらい、初めてその先生にお会いした。
私がうまく話せなくても、どんなに悲観的なことを言っても、にこやかに、穏やかに、決して否定せず、じっくりと話を聞いてくれた。あっという間に2時間ほど経っていたと思う。
そんな経験は初めてだった。
その後はメールや、時々お参りをして話を聞いてもらい、また先生の話も聞かせてもらった。
病院は予約がいるが、教会は予約は要らない。
早朝から夜まで開いている。
しんどい時いつでもお参りして話を聞いてもらえるのがありがたかった。
病院では10〜15分ほどしか聞いてもらえないが、1時間とかもっと長い時間、ゆっくり話を聞いてもらえた。
お金のことも気にしなくてよかった。
家族にとって、うつの人を抱えるというのはしんどいことに違いない。
時には当人のうつに引きずり込まれそうになったり、いつまでも回復しない当人に苛立つこともあるだろう。
私は家にいるとそんな家族の様子を察してしまい、それがまたうつに拍車をかけていた。
教会にいる間は家族も私から解放される。
私も家族から解放される。
家族に「死にたい」という自分の感情を話してしまうと傷つけてしまう。
けれども平常心を装う気力はない。四六時中、心の中で大絶叫、大号泣しているような状態なのだから。
教会では神様に向かって祈りながら、死にたい死にたい、辛い、助けて欲しい、でも助かりたくもない、このまま死にたい、どうして私がこんな目に遭うの、という支離滅裂な激情を神様にぶつけた。
そういうことは罰当たりだと思い込んでいたが、そうではないといと教えてもらったからだ。
人間はみんな神様からキラキラした尊い命を分けてもらってこの世に生まれてきているが、生きていく中でたくさん傷つき、ボロボロになって、もうこれ以上は限界だとた「たましい」がサインを出す。
たましいが傷つき、疲弊し、ボロボロになって、もう動けないのだ。
だから鬱になったり、眠れなくなったり、誤作動を起こし始める。壊れ始める。
傷つけれられたたましいの傷(心の傷)は過去のものだと思うかもしれないけれど、今もナイフやトゲが刺さったままで血が流れ続けているのと同じなのだと。決して過去の傷ではない、今の今だって血が流れ続けているのだと。
泣き叫ぶほど、死にたいと思ってしまうほど、苦しく痛いのだと。
そう教えてもらった。
ここで一旦立ち止まって、無理をしないこと。ちゃんと休むこと。休むことを覚えること。
トゲやナイフは神様が抜いてくださること。
そうして傷が癒えれば神様から頂いている「たましい」がまた輝けること。
死にたいというのは自分勝手な不平不満の叫びではなく、一生懸命に生きてきたからこその叫びであり、それは神様に引き取って頂いたら良いと。
そういうことを教えてもらった。
教会では、心療内科では相手にされないような漠然とした気持ちの話、うつとは関係のない話、思い出話、いろんな話を聞いてもらい、神様の話を聞かせてもらった。
金光教には勧誘とか入信とか脱退とかの概念がほぼない。
何かを強制されることもない。
家庭と病院とは違う居場所ができた。
唯一、心が休憩できる場所になった。
(③へつづく)