きら きら きらり

人はだれしも生まれながらにして神様からキラキラしたものを頂いている。誰でも、かならず。

たましいのSOS

たましいと心、似ているようで違うものなのですが、今日はたましいのお話。

 

たましいが傷ついて疲れ果ててしまうと何かしらSOSを発信してくださります。

たましいと言うのは神様から分けて頂いたものですので、何でも知っているのです。心で知らないふりをしても「たましい」はしっかりと自分の状態を知っています。

 

 

私には生まれつき首に大きなホクロがあったので、小学生の頃は毎日、男の子からからかわれたり、笑われたり、時には殴られたりすることもありました。嫌で嫌で、いつも心のどこかで死にたいと思っていました。

 

特に高学年になってからは学級崩壊もあり、先生が児童を指導することもままならず随分とひどい状況でした。男の子だけではなく、女の子同士もコロコロと仲良しグループやいじめのターゲットを変えて、昨日まで仲良くしていた子を騙したり。

 

親には口が裂けてもいじめられているとは話せず、学校では大人も子どもも信用できず、すべてをひとりで抱え込んで何も感じないように必死に心を殺して生きていました。

 

 

でもたましいは正直で、夜、お布団に入るととめどなく涙が流れてくるのです。

心では悲しいとも辛いとも思っていないのに、好きな音楽を聴いてとても楽しいはずなのに、毎晩毎晩、お布団に入ると必ず涙が流れるのです。

 

その時は「何だこれ。変なの」くらいにしか思っていませんでしが、「たましい」は「君はもう限界なんだよ」とちゃんと教えてくれていたのだと思います。

 

 中学に入って少し落ち着きますが、そのあとも中学や高校時代に原因不明の皮膚炎に悩まされたり、部活のコンクールなど緊張する場面で足が震えて息をするのも精一杯になったり、何かしらたましいはSOSを発信してくれていました。

 

病院に行っても「原因不明」と言われるだけですし、私自身もあまり深く考えていませんでした。心の目も耳も全部塞いで、たましいの言葉も聞かず、何も感じないように生きていました。

 

 

 それが20歳頃になって突然うつという症状になって出てきました。喜怒哀楽のバランスがおかしくなり、「喜」「楽」は無くなり、自分のことを全くコントロールできない。ちょっとのことでパニックのようになって泣き出したり、怒ったり、ついには喜怒哀楽全てが無くなってしまいました。

 

突然のように感じただけで、実はずっと水面下に無理が蓄積し、たましいがほんとうに限界を迎えていたのです。

たましいはずっとSOSを発信してくれていたのに、私が無視していたのです。

 

たましいがSOSを発信してくれるのは自分自身を守るため。

神様はあなたが可愛いから。神様もたましいもあなたのことが好きだから。

だから守ろう守ろうとしてくださるのです。

 

私は金光教の先生に出会ってそのことを知り、たましいを大事にさせて頂くことを学びました。

 

たましいに耳を傾ける。声は聞こえなくても、一生懸命に気にかけて心の耳をすませていると、どうすれば元気になれるのかを神様もたましいも教えてくれるのです。心は騙せても、たましいは騙せない。

 

 たましいのSOSの発信を無視しないでいてあげて欲しいなと思います。

 

 学校が辛かった当時の私ですが、いじめっ子のことを根っから嫌いになれず

「あの子も嫌なところだけじゃなくて優しいところもあるからなぁ」

「あの子も色々大変だからなぁ」

といつも考えていました。

 

 今の私からすると「もっと自分のことを大事にしてあげて!」と抱きしめてあげたいです・・・

 

 一見、他人を大切にしているように見えるのだけれど、自分を大切にできないというのは本当の意味で他人を大切にできないのですよね…

 

 

 私は今、金光教(こんこうきょう)宇都宮教会で御用させて頂いています。

御用って何?と思われるかもわかりませんが、そのようなたましいのSOSや悩みを聴かせていただいています。電話やメールでも悩みや気になることをお聴きしています。
 
今すぐ相談したいとかでなくても、何でも話せるところがあるということを覚えておいてもらえたら嬉しいです。