思いを馳せる
先日、東京に行かせて頂きました。
宇都宮から東京までは快速電車で2時間弱くらいでしょうか。
宇都宮教会を開いた初代教会長・清水藤八先生が金光教に出会うきっかけとなった畑徳三郎先生の墓参をさせて頂きました。
金光教宇都宮教会は今年で開教112年をお迎えさせて頂きます。
初代教会長、清水藤八(しみず とうはち)先生が宇都宮に布教に来たのは明治の終わり。
藤八先生は東京神田の生まれで、若い頃に東京教会初代教会長畑徳三郎先生のお話に感銘を受け、このお道の信心を始められました。
その後、金光教教師となり、はじめは東京の日本橋久松町という場所に教会を構えさせて頂いていました。
一方、宇都宮では布教を始めようとされていた先生に不都合なことが起き、急遽、藤八先生が宇都宮に布教に行かせていただくということになりました。
久松町で自分のことを頼ってお参りしてこられる人たちを後継の先生に託し、故郷を離れ、未知の土地へ布教に来られるお気持ちはどのようなものであっただろうかと思わされます。
もちろんそれだけ師匠に信用されていたからこそ、宇都宮布教を命ぜられたのだと思うのですが。
○
私が宇都宮に来てすぐコロナ禍となり、なかなか東京に出る機会がなかったのですが、畑徳三郎先生の奥城(おくつき…お墓)にお参りさせて頂きたい、藤八先生がはじめに布教された日本橋久松町のその場所に行ってみたいとずっと思わせて頂いていており、念願かなってやっと東京まで足を運ばせていただくことができました。
畑先生の奥城にてご挨拶と日々の御礼を申し上げ、日本橋久松町へ向かわせて頂きました。少しくらいは何か当時(明治時代)の名残のカケラでもあるんじゃないかと思っていたのですが、さすがは東京、すっかりビル群と化していたのでした。
この150年ほどの間に関東大震災も世界大戦の空襲もありましたから、街は何度も生まれ変わったのでしょう。藤八先生が布教されていた明治時代の久松町には、今の「明治座」の元となる芝居小屋があったり、路面電車が通っていたりと、当時の日本の中では最先端の活気溢れる街だったのではないかと思われます。
私はよく「ノンタックのメガネがあったらいいなぁ〜」って思うんです。昔、NHK(Eテレ)で「それいけノンタック」という番組があったんですけれども。ノンタックという男の子が魔法のメガネをかけると物とお話しできる。ものがいろんなことを教えてくれるんです。
私はものとお話ししたいなって子供の頃からよく思っていました。
今でもそう思っています。
昔はどんな街だったんですか?
お教会はどこにあったかご存知ですか?
どんな雰囲気でしたか?
藤八先生はどんな方でしたか?
木でもなんでも、当時からずっと街を見てきているものとお話ししたいなぁと。
すっかりビルが立ち並び、木も何も面影のありそうなものはなかったのですが、この舗装の下にある土地には過去の記憶が刻まれているのは確かですからお土地に話しかけながら少し散策させて頂きました。
私、今放送されているEテレのマチスコープも好きです。マチスコープというゴーグルをつけると街の成り立ちや昔の風景を見せてくれるんですね。
あれがあったら当時の風景が見られるのにな〜と。
初代・藤八先生のご信心やご苦労に思いを馳せ、御礼を申し上げさせて頂きました(^^)
↓おまけ